廃線まであと僅か、JR北海道の「札沼線」にお別れ乗車 北海道陸路旅#C2
こんにちは。くさせんべいです。
今回は、「チャプター2」と題して、今回の旅行で乗ってきた「札沼線」の乗車記録を書いていきたいと思います。
札沼線はJR北海道が所有・経営する鉄道路線で、全線に「学園都市線」の愛称が付けられています。桑園駅を起点とし、新十津川駅を現在(2020年月時点)終点とする全長76.5kmの札沼線の輸送形態は主に電化区間の「札幌~石狩当別~北海道医療大学」と、非電化区間の「石狩当別~浦臼~新十津川」に分かれていて、前者が毎時3本運転される都市近郊路線なのに対して後者は石狩月形発着を含めても毎日7.5往復しかないローカル線となっています。
残念ながら利用客の減少などの理由で「北海道医療大学~新十津川」の区間が2020/5/7付で廃止されることが決定してしまったため、私は今回3月に行った旅行を「札沼線に乗れる最初で最後のチャンス」だとして乗車してきました。
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ということで来るは札幌駅。宿はススキノ周辺でとったので、まあまあな距離歩かされることになりました。街の中心部がJRの駅周辺ではないというのが結構不思議です。
札幌駅ーススキノまでの超長い地下通路があるのでそれを利用しようかと思ったのですが、狸小路から入ろうとしたら入口がふさがれてました。どういうこっちゃ。
廃止区間の列車にダイレクトアクセスするのは6:58発の北海道医療大学行なのですが、廃線決定と共に廃線フィーバーが起こっていることを予想した私は、混雑を避け1本前の石狩当別行に乗ることに。
石狩当別までは電車。車両はE721系JR北海道721系電車でした。千歳線の快速エアポートで指定席として運用されるuシート付の車両が全車自由席の札沼線運用に入っていたので、遠慮なくuシート車に乗ってしまうことにしました。
uシート車両の設備は特急列車並みで、座席は回転リクライニングシート、背面には大型の背面テーブルが付いています。
八軒~あいの里教育大は複線ですが、札幌~桑園~八軒は札幌近郊なのにも関わらず単線となっています。上り列車だけでも函館本線を走行できるようにすればダイヤがもっと柔軟に組めるような気がするのですがどうなのでしょう…
道中すっ飛ばして終点石狩当別。朝早い時間の起床のため睡魔に襲われ爆睡していました。
早い時間の列車で来たおかげで時間が少しあるので、列車と駅舎を撮影。
目的の列車は3番線に停まっていました。今年5月をもって廃止となる北海道医療大学以北まで向かう列車です。7:45発のこの列車5425Dは両手で数えられる程度しか運行されないローカル区間の列車であり、そして浦臼以北に向かう始発であり最終でもある列車なのです。
左手に後続の列車が来たので、慌てて乗車。この列車はお隣北海道医療大学を終点とします。
進行方向右側のボックスを確保。最終的に1両のボックスが全部埋まる+ロング部に数名くらいの人数でした。廃線まで2ヶ月を切っていたのですが、思ったよりは少ないですね?それもこの時期に大騒ぎになったなんちゃらウイルスの影響でしょうか…?
列車は㋾㋟㋗共と僅かな一般客を乗せ、力強くエンジン音を響かせながらゆっくりと石狩当別を発車していきました。
[石狩当別7:45→石狩月形8:17/8:40→新十津川9:28]
列車はお天道様の下、広大な北海道の雪原を北へ北へと快走していきます。
廃線になるほどとあってやはり沿線には民家は少ないものの、そのイメージに反して山間ではなく平地が広がっています。
石狩金沢駅。金沢が付く駅は石川県に留まらず金沢文庫・金沢八景などがあり、さらに地名だけなら様々な「金沢」がありますが、「駅」として金沢の名がつく駅はこれにて1つ消滅してしまうことになります。
←降雪時に道路位置を示す標識がある
列車は石狩川に少し離れつつも沿って走りますが、それ以上にピッタリと国道275号線と並走します。こちらの方が遅いので、沿線を走る車にじわじわと差を詰められて最終的に追い越されていってしまいます。
これが豪雪の時期なら話は変わったのでしょうけれども、今年は暖冬。除雪はキッチリ完了しており、自動車は列車を横目に快走していきます。
列車は本中小屋、中小屋、月ヶ岡、知来乙と順番に停車していきます。
多くは雪原、落葉した樹木、針葉樹が見られるばかりでしたが、時折このように植物が雪から顔を出している風景も見られました。
列車は少々特殊な流れ方をしている小さな川、須部都川を渡り石狩月形駅へ。この駅は北海道医療大学以北のローカル区間における唯一の交換可能駅であり、この列車も23分停車して列車交換を行います。
旅客列車に使われない留置線にはラッセル車?が停まっていました。
車内に残る選択をした方もいましたが、鉄道ファンの一部は列車を降りて撮影に。私も続きます。
駅を出て駅舎をパシャリ。
駅は列車を降りてきたファンでつかの間の賑わいを見せます。
ところで私はこの駅で記念入場券を見つけたのですが、沿線を回って集める記念入場券企画をやっていたらしく、残念ながら予習不足&タイムオーバーで回れませんでしたorz
「改札中」の表記は北海道特有の表示なんじゃないかと思います。そして函館・石狩当別などの多くの駅は電光掲示板に列車の行先・時刻と同時に表記されますので、この札の改札中表記ももう珍しいものではないかと思われます。
駅舎側から1枚。
構内踏切からもう1枚。
あと千回も見られなくなってしまった、いしきりつきがたの駅名標と列車の並び。
乗車列車を前から。構内踏切の部分は一段低くなっていますので、列車の大きさが分かる写真が撮りやすいです。
反対側からも1枚。
対向の列車が来るとのことで、撮影したいファン達が定位置へ。写真右側に列車が来るとのことで、皆キッチリと白線の内側に下がっていました(写真左側は列車が既に停まっている=転落しなければ安全)
対向列車がやってきました。この列車は下り始発浦臼行の折り返し列車です。
対向列車到着後も発車まで3分くらいあったのですが、列車が到着するやいなや皆そそくさと列車内へ戻っていきました。私も撮影を適当に切り上げて戻ります。
石狩月形を出て26分、廃線予定区間における大半の列車の折り返し駅である浦臼駅へ。ここから先、列車は1日1往復の区間へと入っていきます。
そして列車は終点新十津川駅に到着。切符を持たずに折り返すのを防ぐためか、はたまた荷物を置いて折り返し列車のボックスをキープするのを防ぐ目的か、列車は一旦乗客を全て降ろして締め切ります。
線路はこの先できっちり途切れており、ここが終着駅だと再認識させられます。
この列車がほぼ正面から撮れるスペースは1人分しかなかったのですが、ファンたちは譲り合いながら撮影する風景が見られました。
ホームから駅舎。
あっ到達証明書もらってないや…
カレンダーがあって、降車人数が書かれていました。
青春18きっぷ使えない1月後半、2月はともかく、青春18きっぷも使えるようになって学生も休みに入る3月に入っても現状維持とは…
駅舎を出ます。駅出て左側には臨時か常設かはわかりませんが、売店がありました。
振り返って駅舎を1枚。
駅舎出たところの広場をさらに奥に目を向けると、なにやら他にも売店みたいなのがありました。
キハ40っぽい感じに塗装された自販機がいい感じです。
気になって入ってみると、中には大量の鉄道グッズが!
これらほぼ全てが売り物で、札沼線関連のグッズに留まらず留萌本線の廃線区間関連のグッズとかが売っていました。なんなら全種類購入したいところですが、ロクにお金もないし持ち運べないしそもそも部屋に飾れるだけのスペースがない!
ということで(これは後に撮った写真ですが)左下の2枚のポストカードを購入。お値段もお手頃。
そうそう、グッズを物色してたらいかにも同業者(鉄道ファン)っぽいおじさま(といっても結構若めのお方)に話しかけられ、埼玉から来たことや札沼線に乗ってきたことなどを話したら、「遠いところからよく来たね~。あ、はい。これあげるよ」って感じのノリで物凄く貴重そうなポストカード(実際貴重)と切符の入った袋をくださいました。え?!ゑ?!いいんですか?!?!?!と私はすっかり恐縮。その後あっさりと売店を出て行ってしまって、状況の呑み込めてなかった私は( ゚д゚)ポカーン。
個人的に気になった先ほどのポストカードを持って会計するときに、会計のおばさまに先ほどのおじさまについて尋ねると、なんでもあの方は「新十津川駅を勝手に守る会」の会長をやっている方とのこと。てっきり旅行者かと思っていましたが、フツーに地元住民でした。
なんでも結構早い時期(廃線が噂されたときくらい?)からこの会を立ち上げ、自身はポストカードとかの記念品を自腹で買ってはこの駅に訪れたファンにたまに配っているとのこと。やってることが私の想像をはるかに超えててまさに( ゚д゚)。
廃線が決定してからは記念入場券の販売とかのことを若手に任せるようになり、あんまり駅に顔を出さなくなったとのことで、私が来たタイミングで会ったのはなんとも不思議な偶然だったように思います。
この場をお借りしてお礼いたします。ありがとうございました。グッズ頂いて本当に恐縮でございます。
(ちなみに頂いたポストカードが写真左上のものです。)
流れで店員と思わしきおばさまと雑談。一昨年はドカ雪だったのに対し去年は小雪で、今年はとりわけ雪が少ないということ、降雪地域の農家事情、地元の人の交通事情*1、ここ直近の社会情勢、かつての新十津川駅についてのことなんかの話を聞きました。特に訪問時は廃線まで2ヶ月を切っていたこともあり、「この時期はめっちゃ人来るぞ~」と地元でささやかれていたのが、直近のなんちゃらウイルスの影響により訪問客激減。訪問客の多さで列車を1両から2両へ増結したほどの賑わいを見せた去年とは打って変わって、やはり今年は少なかったようです。
と、店内で喋っていたらすっかり列車の発車時間近く。キッチリ支払いを終えてから店員さんに別れを告げ、急ぎ駅舎へ。
列車に向かう前に、この駅での記念入場券もしっかり回収(というより購入)。
発車直前にはこんな感じでメッセージの書かれた旗を持って地元の方がお見送りに来てくださっていました。
せっかくならこの列車を見送って先ほどの店員ともう少し駄弁り、一度滝川駅に向かってからゆっくり札幌に戻りたかったところではありますが、残念ながら昼食を札幌周辺で食べると決めている以上この列車で南下する以外方法がありません。ひとまず列車の写真を何枚かパシャリ。
もう少し駅周辺を探索すべきだっただろうかという思いも頭をよぎりますし、名残惜しいですが、これにてこの駅を離れます。発車までは1~2分ありましたが、折り返す鉄道ファンは私以外もう全員列車に乗り込んでいました。
さらば新十津川駅。ありがとう新十津川町の皆様。札沼線が無事何事も無くラストランの日が迎えられることを祈っています。
予想通りというか、ギリギリに来た時点で覚悟はしていたのですが、やはりボックス席は全て埋まっていたので当分ドアが開かない後ろのデッキに陣取ります*2。
空く可能性はほぼ0だったので1時間以上の立ち乗りになるだろうと感じていましたが、案外、ボックスに座っていたときには見られなかった札沼線の顔を見られて、結構面白いです。
時には林の中を走ったり。
こんな写真も撮ってみたり。
ただ依然として民家は少なく、利用はやはり厳しいものなのだろうと感じます。ただそれだけでなくて線路状態も良いわけでなく、一部区間では列車が揺さぶられます。札沼線をこれからも存続となるとこれらの設備を更新していく必要性もでてきます。それらのことを考えると、「廃線も止む無し」となってしまうのでしょう。広大な大地の下に鉄道を経営していくことの難しさをひしひしと感じます。
列車は往路で長時間停車した石狩月形をすぐに発車し、気づけばあっという間に廃止区間外の北海道医療大学駅。
そしてこの列車の終着、石狩当別へ。ここからは5月以降もずっと残る札沼線…いえ、学園都市線の電化区間に乗って札幌へ戻ります。
その後、石狩当別でも売られている記念入場券を購入し接続列車へ。
ギリギリまで歩き回ったため列車の先頭は撮れず、適当な席に座ったまま八軒まで爆睡してしまいました。
ということで終点、札幌駅に到着しました。これにて廃線区間の探訪は終了。
新十津川駅ではあまり散策できなかったし、本当に「乗ってきただけ」ではありましたが、それでも楽しかったですし、現状を見るという点でも地域を知るという点でも訪問してよかったなぁって思える乗車でした。
ちらと書いたように、新十津川駅は函館本線の主要駅滝川とさほど離れておらず、バスはそれなりの本数確保されしかも歩こうと思えば歩けてしまう距離にあります。もしも札沼線が留萌本線の石狩沼田*3ではなく滝川に繋がっていたのなら…
と、未来が変わっていたかもしれないIFの話をするというのは野暮というものなのでしょうか。
廃線まで2ヶ月を切った札沼線。近年では残念ながら暴走し列車を止めてしまうような鉄オタがいることも事実ですが、私を含め、きっと多くの人は無事にラストランが迎えられることを祈っていることでしょう。
最後まで無事に走りぬいてほしい…私は、そう思っています。